古/いにしえの面影       其の一阡弐百弐拾九
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2014年03月16日 土曜日
アップ日  2016年04月01日 金曜日
京都府京都市左京区如意ヶ嶽(大文字山・東山トレール)

ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

行け行け!CCC(チキン・クライム・クラブ)
自転車で彷徨うのも足が大事!

如意ヶ嶽(にょいがだけ)は日本の京都、東山に存在する山。
標高472メートルで、山頂は京都市左京区粟田口如意ヶ嶽町。
また如意ヶ嶽は京都市左京区と滋賀県大津市の境ともなっており、
鹿ヶ谷から池ノ谷地蔵を経て園城寺へ至る山道は「如意越」(にょいごえ)と呼ばれ、
これは京と近江の近道とされ如意ヶ嶽の戦いなど合戦の舞台になったことがあるほか、
城跡も残っている。
また古来より信仰を集めた山であり、山中にはかつて
大規模な山岳寺院・如意寺(にょいじ)が在った。
支峰(西峰)として標高465.4メートルの大文字山(だいもんじやま)があり、
8月16日に執り行われる京都の伝統行事、
五山の送り火の大文字として著名であり、逸話も多い。
この大文字山はその山上から京都市内を一望でき、ハイキングコースとしても人気がある。

(Wikipediaより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

グーグルマップより~
クモヒトデではありません。。

※山 境界石

尾根道

※大文字山
465m

三角点
465.3m

※春霞が残念~

前回の東山も~

※ニコ嬢
お疲れさん~

人気場所です。

※大文字に行きます。

右手前が吉田山
左中程に御所

※毎年8月16日(かつては旧暦の7月16日であった)、
19時半頃には大の字の中心(金尾、カナワ、カナオ、カネオ)にある
弘法大師堂で行事・般若心経の読経が開始され、20時から「大」の字の送り火が行われる。
運営は大文字山麓、浄土寺界隈の民間人らの組織する保存会が行っている。
ちなみに火床周辺は昭和13年/26年の地形図では「大文字霊場」と記されている。
また『京都故事物語』によれば、辺りの面積は7000坪程度であるという。
この送り火は本来の盂蘭盆の「送り火」としての意味だけではなく、
都の安寧や悪霊退散を願うものでもあったともいい、
家内安全や無病息災なども願う伝統的・包括的な宗教行事である。
(Wikipediaより)


「大」の字は第一画の横棒を一文字といい80メートル、第二画の左払いを北流れといい、
一文字より上に突き出した字頭(じがしら)部を含め160メートル、
第三画の右払いを南流れと言い120メートル。
火床の数は大の字中心より上が9、左が8、右が10、左払いが20、右払いが27。
これに大の字中心の「金尾」を加え合計で75。
他に妙法左大文字船形、鳥居形でも行われ、
これらを併せて「五山送り火」とし、京都の夏の風物詩の一つである。
現在は20時ちょうどに、五山の先頭を切ってこの大文字が全火床一斉に点火され、
25分から30分程度燃焼する。

(Wikipediaより)

※イソベさん
位置確認中~

火床

※真中は黒谷

右払い

※国旗掲揚台

奉納者の名が~

※展望台状態

松ケ崎の山も~
手前中央は日本パブテスト病院
移された将軍地蔵堂近く

※法

真中左の高架道は
狐子坂ですね。
真中の白い建物は、京都市東北部クリーンセンター

※鳶の目に成って~

真中の大屋根は知恩院さん
ウェスティンホテル京都や京都タワーも…

※黒谷左に
京都美術館

下っていきます。

※草原8大文字)と
雑木林の狭間を~

雑木林が^

※山岳寺院跡?

千人塚
山中には「千人塚」なる石碑があり、これは太平洋戦争後期、
山中に壕を構築していたところ大きな壺に入った大量の遺骨が発見され、
それが祀られたものである。
(Wikipediaより)




木の階段下って~

※薪運搬用のリフト


金閣寺山松林再生試験地
赤松が再生したら
マッタケ山になりますかね?

※小さな信仰~

白川水系が脇に流れています。

※案内板

中尾城・如意ヶ嶽城
如意ヶ嶽は京の東の口、京と大津を繋ぐ経路の一つとして要衝であり、
如意城(にょいのじょう)、如意ヶ嶽城、あるいは中尾城と呼ばれる城が築かれていた。
正確な所在については諸説あり、慈照寺の裏に当たる中尾山とも、
如意ヶ嶽と大文字山の間であるとも言われているが、現在は二つ存在したとする説が有力である。
一つは中尾城と呼ばれ、如意ヶ嶽の北西の支峰、中尾山に遺構が見られている。
1549年(天文18年)には12代将軍足利義晴および細川晴元が築城を行ったとされ、
『万松院殿穴太記』ではその威容について「名城」であるなどと言及している。
義晴は翌1550年(天文19年)5月に没し、嫡男の13代将軍足利義輝は7月にこの城に移り、
三好長慶軍と京都で戦闘を行ったが(中尾城の戦い)、11月に落城、焼失した。
もうひとつは如意ヶ嶽城などと呼ばれ、如意ヶ嶽山頂・大文字山山頂付近。
『応仁記』巻三、応仁別記(15-16世紀頃)または大乗院寺社雑事記(1471年、文明3年)によれば
1469年(文明元年)5月に多賀高忠が如意ヶ嶽に布陣したとの記述がある。
恒久的な築城がなされたわけではないと見られるが、現在も空堀や土塁などの遺構が残っている。
隣接地域には北白川城、東岩倉山城など、他にも山城が見られる。


※桜には早い目の
梅の季節

銀閣寺さん

※兎紋
一服しましょうか?

銀閣寺前の商店街

※哲学の道も~1 2
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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