古/いにしえの面影       其の一阡弐百弐拾六
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2012年11月10日 土曜日
アップ日  2016年03月30日 木曜日
京都府京都市東山区今熊野~清水(清水寺・東山トレール)

ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

行け行け!CCC(チキン・クライム・クラブ)
自転車で彷徨うのも足が大事!

清水寺:境内は標高242メートルの清水山(音羽山)中腹に石垣を築いて整地され、
多くの建物が軒を接するように建ち並んでいる。
入口の仁王門を過ぎ、西門、三重塔、鐘楼、経堂、開山堂(田村堂)、
朝倉堂などを経て本堂に至る。本堂の先、境内の東側には北から釈迦堂、
阿弥陀堂、奥の院が崖に面して建つ。本堂東側の石段を下りた先には
寺名の由来でもある名水が3本の筧(かけい)から流れ落ちており、
「音羽の滝」と呼ばれている。音羽の滝からさらに南へ進むと、
「錦雲渓」と呼ばれる谷を越えた先に塔頭寺院の泰産寺があり、
「子安塔」と呼ばれる小さな三重塔がある。

(Wikipediaより)
桂米朝師の『はてなの茶碗』聞きながら~

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

今熊野南谷辺り

※守脩親王墓
梨本宮守脩親王(なしもとのみや もりおさしんのう、
文政2年10月29日(1819年12月16日) - 1881年(明治14年)9月1日)は、
江戸時代末期から明治時代にかけての日本の皇族。梨本宮初代。
伏見宮貞敬親王の第9王子。伏見宮邦家親王の弟。
邦家親王の数知れずの王子女達の叔父でもある。王子幼称は、万代宮。
天保4年(1833年)4月親王宣下。守脩と命名される。
同年9月に円満院に入り、出家し覚諄入道親王を名乗る。
安政3年(1856年)二品に叙せられる。安政6年(1859年)6月
円融院に入り梶井門跡となり、名を昌仁入道親王と改めた。
親王は天台座主も務めたが、明治維新後は他の皇族と同様に還俗し、
梶井宮守脩親王を名乗った。
明治2年(1869年)上野太守に任ぜられる。明治3年(1870年)宮号を梨本宮に改称する。
1881年(明治14年)9月薨去。63歳。
親王には継嗣となる王子が無かったため、山階宮晃親王の王子菊麿王を養子とした。
(Wikipediaより)





解脱金剛宝塔
解脱金剛宝塔(げだつこんごうほうとう)は、京都府京都市東山区の泉涌寺にある、
岡野聖憲(1881-1948)の遺骨を収める解脱会の宝塔。
開祖岡野聖憲(解脱金剛)は皇室の菩提寺の泉涌寺を伊勢神宮や橿原神宮と並ぶ
解脱会の三聖地とし、戦後の困難な時期に支援した。
「永遠に皇陵を護持したい」との岡野の思いから、
死後、1954年(昭和29年)に宝塔が建立された。
(神殿大観HPより)




泉涌寺大門
泉涌寺 (せんにゅうじ)は、京都市東山区泉涌寺山内(やまのうち)町にある
真言宗泉涌寺派総本山の寺院。
山号は東山(とうざん)または泉山(せんざん)。
本尊は釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三世仏。
平安時代の草創と伝えるが、実質的な開基(創立者)は
鎌倉時代の月輪大師俊?(がちりんだいししゅんじょう)である。
東山三十六峰の南端にあたる月輪山の山麓に広がる寺域内には、
鎌倉時代の後堀河天皇、四条天皇、
江戸時代の後水尾天皇以下幕末に至る歴代天皇の陵墓があり、
皇室の菩提寺として「御寺(みてら)泉涌寺」と呼ばれている。
空海が天長年間(824年-834年)、この地に草創した法輪寺が起源であるともされる。
(Wikipediaより)


※扁額 東山

重要文化財 仏殿も
少し見えて~




悲田院展望台

お邪魔して~

※京都タワーも見えます。

鳥辺山の向こうに~

※紅葉も少し…

比叡山が

※遠く左大文字山の
右側には船岡山も~

京都タワーの向こうには
愛宕山
東本願寺さんの覆屋も~

※市内一望

桜と銀杏の紅葉共演

観音寺(かんのんじ)は、京都市東山区泉涌寺山内にある真言宗泉涌寺派の寺院。
泉涌寺の塔頭のひとつで、今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)とも称される。
山号は新那智山。本尊は十一面観音(秘仏)。
西国三十三所第十五番札所、神仏霊場巡拝の道(神仏霊場会)百二十二番(京都四十二番)霊場、
ぼけ封じ・近畿十楽観音霊場第一番札所、洛陽三十三所観音霊場第十九番札所、
泉山七福神巡りでは三番としてえびす神を奉祀。
大同年間(806年~810年)、空海が庵を結んだのに始まるとされる。
(Wikipediaより)


※歴史的風土特別保存地区

毘沙門堂



モミジには少し早かった~



愛宕山が微笑んでました。

この段差

※趣味人の方の御家

生け垣に

※サネカズラ~

そば茶寮 澤正さん
石積洋館も~

此処も

階段地蔵堂

※化粧地蔵様

此処も
脇の道は醍醐道(滑石越)

※多くの地蔵様

この先で山道に入ります。

階段登ります。



六条山へ~

※立派な山道ですね~

偶然~イソベさんのお知り合いに~

※国道1号脇道標
すぐ 本願寺
 大佛
 
明治期の道標に方広寺大佛(?)
とイソベさん。。

国道1号(東山トンネル)

※脇を通って~

アンダーパスして

※こんな感じで~

ありゃ~
でも、地蔵様は屋根の下。。

※昔からの東山越えの道

東山ドライブウェイも左へ~

※見返れば~
西山も~


六條天皇御陵(79代天皇)
高倉天皇御陵(80代天皇)
参道~

※六条天皇(ろくじょうてんのう、
長寛2年11月14日(1164年12月28日) - 安元2年7月17日(1176年8月23日))は
日本の第79代天皇(在位:永万元年6月25日(1165年8月3日) - 仁安3年2月19日(1168年4月9日))。
諱を順仁(のぶひと)という。

高倉天皇(たかくらてんのう、
応保元年9月3日(1161年9月23日) - 治承5年1月14日(1181年2月6日))は、
平安時代末期の第80代天皇(在位:仁安3年2月19日(1168年4月9日) - 治承4年2月21日(1180年3月18日))。
諱は憲仁(のりひと)という。
後白河天皇の第7皇子。母は皇太后平滋子(建春門院)。安徳天皇、後鳥羽天皇らの父。
承安2年(1172年)、平清盛と時子の娘(つまり従姉に当たる)平徳子(後の建礼門院)を中宮に迎える。
治承2年(1178年)11月12日、中宮・徳子に皇子(のちの安徳天皇)が誕生し、
同年12月15日には皇子を早々に皇太子とした。
(Wikipediaより)


バイク・自転車乗り入れ禁止!

※清水寺が正面に~

大勢の観光客の方が~
清水寺(きよみずでら)は、京都府京都市東山区清水にある寺院。
山号を音羽山。本尊は千手観音、開基(創立者)は延鎮である。
もとは法相宗に属したが、現在は独立して北法相宗大本山を名乗る。
西国三十三所観音霊場の第16番札所である。
古都京都の文化財としてユネスコ世界遺産に登録されている。


※西門の横にある三重塔

三重塔(重要文化財) - 西門の先に建つ和様の塔。
寛永再興時の再建。高さ30.1メートル。昭和62年(1987年)に
完了した解体修理により、外部の極彩色が復元されている。
内部には、曼荼羅の密教世界が造形されて、
中央には大日如来が安置されている。
(Wikipediaより)


此処からで良いかと~

※清水山へ~

コガネムシ

※清水山(242.5m)

清水寺山に在る
境界石
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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