古/いにしえの面影       其の一阡弐百参拾
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2014年07月24日 木曜日
アップ日  2016年04月06日 水曜日
大阪府泉北郡忠岡町(忠岡神社)

ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

日本一面積の小さい町であり、人口密度も町村の中で福岡県糟屋郡志免町・
広島県安芸郡府中町・愛知県海部郡大治町に次いで第4位である。
2009年(平成21年)10月1日、愛知県西春日井郡春日町が
清須市に編入されたことに伴い、日本一面積の小さい町になった。

(Wikipediaより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

本瓦が綺麗な街です。

※奈良の街並みに似てますが~
煙抜き家屋は見当たりません。

複合目型路地

※空き地も少し~
本瓦家屋が在ったんでしょうね~

屋門前に~
常然寺さん

※本堂横から~

立派な一枚板の屋門

※此処も~

旧紀州街道に続く路地
先はチヌの海に~

リニューアルされた
家屋路地

※入りたい路地~

二回建蔵
手前の空き地が悲しいなぁ~

※路地行けば~
燈籠の笠も~

日常風景~

※露地物の
トマトが色付いて~

目型路地

※マンホール

神社の森が~



本瓦家屋悲しいなぁ~



泉州25霊場
第23番 圓光大師法然上人御拝所
常然寺さん
元神宮寺でしょうか?

※地蔵堂
婦人会銘




鐘楼~



忠岡神社サン

手前の石柱は
皇太子殿下
御降誕記念碑
昭和八年
前には

※防風林
松林名残が~

手水舎

※手水鉢には盃状穴が~

世話人名も~



多くの盃状穴

奉納牛も~

※横の旧の手水鉢にも
多くの盃状穴

深いですね~



 従軍記念碑
日露戦争

※奉納馬
萬野汽船銘
萬野汽船株式会社:かつては外航海運業を行い、
最盛期には貨物船17隻、総重量トンで70万トンを保有していましたが、
現在は海運業はお休みし、グループ全体の持株会社として活動しています。
(松豊土地建物株式会社HPより)


 高岡製でしょうか?

※忠岡戎神社さん
御堂のような~

 忠岡町町制記念銘
(昭和14年)

※狛犬


 狛犬


※吽

 足元に
徘徊防止の呪いが~



 石燈籠も~
穂口が石製と木製…



拝殿舎
武運長久が時代を
象徴してるんでしょうね。

※拝殿舎内部から
本殿舎

元は菅原神社
それで撫牛が~
字ごとに神社が在ったんですね。

※秋祭りの地車が有名です。
忠岡だんぢり祭 - 毎年10月の第2土・日曜日に行われる。
町内には4基(生之町・道之町・濱之町・仲之町)あり、
全て岸和田と同型の「下だんぢり」である。
「明治甚五郎」の異名を持ち彫師も兼ねる大工棟梁「櫻井義國」の出身地であり、
道之町のだんぢりは特に有名。
(Wikipediaより)


海向いて~
歌碑が…
忠岡神社境内に高浜虚子、高浜年尾、稲畑汀子の三代の句碑があります。
「大汐干句会の船を五六艘」虚子、「その昔よりの千鳥の洲なるべし」年尾、
「千鳥の洲とて訪ねたき心すぐ」汀子。
虚子の作品は堺大浜にて詠んだもので、
後の二人は忠岡の浜に数百羽群れ飛んでいた千鳥と大津川の中洲を思っての作品です。
三代の句碑はここと芦屋市にしかありません。忠岡町在住の「ホトトギス」同人の
小島梅雨・ミサヲ夫妻により建立されました。
「ホトトギス」は1897(明治30)年、愛媛県松山にて創刊された俳誌で、
翌年に発行所を東京に移し高浜虚子が主宰発行人となります。
以後長男年尾、その次女稲畑汀子と受け継がれてきました。
夏目漱石の「我輩は猫である」や「坊ちゃん」なども発表されています。
(泉州国際市民マラソンHPより)


※社紋
三つ柏紋

 「千鳥の洲とて訪ねたき心すぐ」汀子。

※青石ですね。




駐車場内
狛犬


※吽
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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