古/いにしえの面影       其の一阡弐百参拾五
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2014年06月18日 水曜日
アップ日  2016年04月11日 月曜日
大阪府東大阪市長田(長田神社)

ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

東大阪市(ひがしおおさかし)は、大阪府中河内地域に位置する市である。
江戸時代中期以降、中甚兵衛らの嘆願によって大和川の付け替え工事が行われると
新田開発が大坂の商人らによって積極的に推進された。
また商品作物の栽培も盛んで、木綿の産地として名の知られた存在だった。
東大阪市の中央部は長い間、北にある深野池や西にある新開池、
そこに注いでいる付け替え前の大和川の為に長らく湿地帯で、
東大阪市の市域で早くに開けたのは、
確かにこれら大和川の流域と高野街道沿いの地域ではあるが、
開発は遅れがちであった。
室町時代以降、河内国の行政の中心であった若江城でさえ、
四方を沼地に囲まれた難攻不落の平城として記録されている。

(Wikipediaより)

近くは…
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(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

暗越奈良街道は南側に走っています。
石垣も4段積
水との戦いですね。

※玄関石垣も~

エエ路地でしょ~

※一乗寺と善光寺阿弥陀三尊図(絹本彩色仏画)が
有るんですと。。

太神宮
御陰踊り燈籠~
『え~じゃないか』ですかね。

※前には~
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神社境内にも~
御陰踊り燈籠
世話方子供中

境内に対の
石燈籠

※お蔭燈籠とは伊勢皇太神宮への献燈を意味する。
江戸期には神仏詣りが民衆の間に浸透し中でも盛大を極めたものに
御伊勢詣りがあり沿道の人々の喜捨庇護(きしゃひご)をうけて
参拝したのでおかげ詣りと呼ばれる。
伊勢詣りの爆発的流行は六十年周期に起こったとされるが、
文政十三年(1830)の場合は御蔭詣りと共に河内大和一帯では
御蔭踊りと呼ばれる阿波踊りに似た民衆の乱舞があった。
枚方に始まり当地に及び大和に波及し北河内に還流する。
この乱舞流行の鎮まりを見た天保二年(1831)、
当村の指導者たちは安堵し、村中安全を祈念して建立した。
尚、当市のおかげ燈籠五基までは文政十二年(1929)の
おかげ踊りを契機に作られたものである。
(大東市教育委員会より)


手水舎
井戸付き

※手水鉢

長田には5基在るんですね。
此処まで3基

※戎様飾り瓦~

おみくじと清め塩

※境内摂社
稲荷社と?

塞神社と竜王明神社

本殿舎



境内に神宮寺の名残?
宮寺、浄土宗の摂取庵(子安地蔵)
江州(滋賀県)堅田で祭られていたとか~
(子安地蔵縁起より)

※数珠繰りが有るんですね。
後醍醐天皇の御代元弘元年(1331年)8月、都で大地震が起こり、
その上悪疫が流行して、多くの横死者が出ました。
勅命により当山第8世善阿空円上人は宮中に参内し、
七日七夜を期して阿弥陀佛の御名を称えること百萬遍におよびました。
その功力により疫病は止み、帝は御感のあまリ「百萬遍」の勅号と
弘法大師御作の大利剣名号軸及び540顆の念珠を下賜されました。
それ以来、諸祈願の法会としてこの大利剣名号軸を掲げ、
僧俗が輪になり念佛を唱えながら大念珠を繰る
作法が「百萬遍大念珠繰り」として全国各地に広がりました。
特に京都の人々には大念珠繰りの寺「百萬遍さん」と親しまれております。
(浄土宗大本山百萬遍知恩寺HPより)

子安地蔵さん

※境内のケヤキ?

支那事変記念
国旗掲揚台

※新しいですが~
二宮金次郎像

地車が盛んな地区

※見返って~

歯痛地蔵尊
昔の歯科は抜くだけだったんでしょうかね?
虫歯、歯槽膿漏は辛いですね…

※昔からの村中道

見通しは無いですね~
二段蔵

※神社の東側

玄関前の唐臼
オブジェ?車止め?

車止め?
陸軍用地杭
軍の施設は無かったようですが~


石臼も車止め

太神宮
御陰燈籠
(長田では4基目)



長田大師堂

※『用』字型路地
一本北側へ~

唐臼此処にも…



石垣は二段積

※ロウジデスネ。。。

京都路地に見えませんか?
えっ?間口が広い~??

※石蔵

立派な弁柄の屋門

※こちらも見通しが悪い~

長田中公民館



浄土真宗本願寺派
梅香山 西願寺さん

※石材も~

まんうけ地蔵尊
よろず引き受けます?

※ロウジ

土蔵も~

※トタン被せ茅葺屋根

大木が有ったんでしょうね~

※先へ~
 
御陰燈籠見え隠れ~
(長田の5基目)

※ロウジ~

お地蔵様では
無い様な~
弁天さんのように見えますが…



右 八尾(小阪街道で北八尾街道に出て)63丁・
玉造(小阪街道で暗越奈良街道に出て)50丁・
小阪停留場(小阪街道で大軌(近鉄)小阪駅)10丁

※左
徳庵(小阪街道から古堤街道)17丁
放出駅(小阪街道から古堤街道、片町線)18丁
片町(小阪街道から古堤街道)50丁

旧楠根村長田
大正5年の物

東大阪市立火葬場楠根斎場



昔、この場所で蛇行していた楠根川跡公園

※今は真っ直ぐにされて、
広くなりました(第二寝屋川)。
上空には伊丹飛行場向けての航空路が~

府道沿いの
昔の村中道~

※此処も~

やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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