古/いにしえの面影       其の一阡弐百八拾七
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2015年07月23日 土曜日
アップ日  2017年02月09日 木曜日
大阪府大阪市北区中之島(大阪・光の饗宴2015)

ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

2013年冬、「水と光の首都大阪」の実現をめざして、光により大阪の魅力を向上し、
世界へと発信する「大阪・光の饗宴」がスタートしました。
大阪の中心を南北に走る御堂筋を光で包みこむ「御堂筋イルミネーション」、
水と光の際立つ中之島で開催される「OSAKA光のルネサンス」の2つを「コアプログラム」とし、
大阪の各所で民力により灯される個性あふれる光を「エリアプログラム」として、
大阪各所で個性を表現する光のプログラムを一体的にプロモーションします。
大阪の都市ブランドの向上と観光誘客促進をめざす「大阪・光の饗宴」は
「大阪の夜を彩る光のミュージアム」をメインテーマに、2016年は国内外からの
来訪者1000万人以上の継続をめざします。
(2015年度は約1154万人が来場)
(大阪・光の饗宴HPより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

冬枯れ前の銀杏並木に
ライティングされて~

※beatで御堂筋を
南下して~
 
ナンバヒップス
日本初のビル壁面設置型フリーフォール

道頓堀のネオンも~

※中央公会堂に戻って~
昔は豊国神社
この場所にあったとか~

岩本さんがポンと100万円を~

※堂島浜は
阪神高速道路の下に~

大阪地方裁判所も目立たなくて~

※鉾流橋もライティングして~

エエ月が出てました~

※OSAKA光のルネサンス
ですって!

色彩的には
少し地味ですが…



日本銀行大阪支店
土佐堀川、堂島川、そして大阪のメインストリート・御堂筋に面して建つ近代建築。
明治36年(1903)にベルギー国立銀行をモデルに建設された、
緑青の色が美しい円屋根をもつレンガと石造りの2階建て本格的洋風建築だ。
設計は東京駅舎や中央公会堂を手掛けた辰野金吾らによる。
江戸時代この地には島原藩蔵屋敷があり、明治初期には関西財界の指導者五代友厚の
別邸があったそうだ。
昭和の時代、業務空間拡大のため、一時は高層ビルへの全面建替えも計画されたが、
3面の外部の壁面と内部の重要な部分を保存し、西側敷地に高層棟を新築した。
予約すれば、旧館の内部や新館の営業室などを見学することができる。
(大阪観光局HPより)


※淀屋橋夜景
 空間の広がり~高層ビル化は
無いのが良いですね~(バックが邪魔??)

※市役所前のモニュメント~

石原ビルヂング
昭和14年、石原政造は、拡幅工事を終えた御堂筋沿い、
淀屋橋南西角に賃貸ビル「淀屋橋中央ビルディング」を建てます。
石原政造は、建築にも造詣が深く、建設にあたってその デザインも手がけました。
直線ラインの外観で、一見シンプルに見えますが、
内装には豪華な石材やモザイクタイルなどが使用されています。
8階はとりわけ天井が高く、大きな窓より淀屋橋が一望できます。
昭和29年、ビルの名前を「石原ビルディング」と改名、
また戦後場所を移していた石原時計店は、昭和39年、石原ビルディングの一階に移り、
現在の石原時計店へと継承されています。
(石原時計店歴史HPより)


※土佐堀川東方面

ブロックごとに
光の色を変えてます。

※江戸時代以来、御堂筋と呼ばれていた区間は船場のうち淡路町通以南に過ぎず、
淡路町通以北は淀屋橋筋と呼ばれていた。
これは、淀屋橋から南下した淀屋橋筋が淡路町通で終わり、
西へ少しずれて御堂筋が始まるため、別の道路とみなされていたことによる。
淀屋橋筋は淀屋橋(土佐堀川)を渡って中之島へ出ることができ、
現在のように一本道ではないが大江橋(堂島川)と蜆橋(曽根崎川)を渡って
曾根崎新地へ出ることもできた。
一方の御堂筋は長堀川への架橋はなく島之内へ出ることができず、
堺筋・心斎橋筋などと比べて見劣りのする、人通りの少ない道であった。

御堂筋周辺の建物は、1920年(大正9年)12月1日施行の市街地建築物法に基く百尺規制によりその高さが揃っている。
1969年の建築基準法改正で規制が容積制になったため、以降は大阪市が高さを指導してきた。
1995年から御堂筋に面する外壁の高さが50 m、10 m後方部分が60 mと指導される。
2007年(平成19年)2月から一部の地区で1階を公共の空間とするのを条件に、
後方部分の高さ制限が140 mに緩和されている。


淀屋橋の向こうに
大江橋を望む

※淀屋橋西側

淀屋橋
かき船(かき広)
かき船(-ふね、牡蛎船・牡蠣船・カキ船とも)は、
川辺に係留した和船でカキ料理を食べさせる飲食店。
1660年代に、安芸国草津から大阪までの、小西屋五郎八のカキ売りの船が起源とされている。
当時は、草津・仁保・矢野の港を晩秋に出港。大阪の各港で生がきを販売。
翌年の1月から2月頃(旧暦)に広島に帰っていた。
1707年(宝永4年)の大阪での火事の際に、高麗橋下の幕府の高札を守ったことで、
草津の業者は大坂町奉行より事業の特権が与えられ、株仲間制度の下、
草津・仁保出身者が事業を独占することになった。
船内でのかき料理の提供は1810年代より始まった。
1832年(天保3年)のメニューとして、カキ飯・カキの土手鍋・酢ガキ・カキの吸い物・
からまぶし(カキとおからの和え物)などが記録に残されている。
明治以降、草津の業者に加え、矢野や海田の業者もかき船に参入。
1882年(明治15年)時点で77隻、昭和初期で150隻以上、かき船の数を数えた。
標準的なカキ船で、板前・仲居・出前持ちなど10人前後の従業員で営業していたとされている。
また、明治以降はカキフライなども出されるようになった。また付け合わせとして広島菜漬も出された。
広島市内でも、第二次世界大戦のまえから元安川や、本川で営業していた。
明治以降、東京でもかき船が登場。大阪の物とは異なり、食材のみを広島から仕入れる形態になった。
カキの輸送手段も大正時代には汽船を、昭和時代にはむぎ身を汽車で運ぶように変化していった。
第二次世界大戦後、陸上に店を構える店舗に転換するなどして数を急激に減らしている。
2014年現在、広島県広島市元安川に2隻(かなわ・ひろしま)、広島県呉市堺川に1隻(味の居酒屋かき船)、
大阪府大阪市旧淀川に1隻(かき広)、長野県松本市松本城の堀に1隻(かき船)がある。
(Wikipediaより)



大江橋より
水晶橋望む

※大江橋西側

落ち着きますね~

※梅新方向

水晶橋(すいしょうばし)は、大阪市の堂島川(旧淀川)に架かる歩行者専用橋。
大阪市北区中之島1丁目と北区西天満2丁目の間を結んでいる。
本来は河川浄化を目的として 1929年(昭和4年)に『堂島川可動堰』として
建設された可動堰で、堂島川の水質改善に大きく貢献した。
1982年(昭和57年)に橋面を改装、法律面でも橋としての手続きがとられ、
名実ともに橋となった。
(Wikipediaより)

※水晶橋の袂

大阪市中央公会堂(通称:中之島公会堂)は、1911年(明治44年)、株式仲買人である
岩本栄之助が公会堂建設費として当時の100万円を寄付したことにより、
1911年8月に財団法人公会堂建設事務所が設立され、建設計画が始まった。
北浜の風雲児と呼ばれた相場師・岩本栄之助は渋沢栄一が団長となった
1909年(明治42年)の渡米実業団に参加し、アメリカ大都市の公共施設の立派さや
富豪たちによる慈善事業・寄付の習慣に強い印象を受けた。
彼は父の遺産と私財をあわせた100万円を公共施設建設に寄付することを決め、
蔵屋敷の廃止後衰退し再生を模索していた中之島に公会堂を建設することにした。
設計は、懸賞付き建築設計競技(最終的に13名が参加)により岡田信一郎案が1位となり、
岡田の原案に基づいて、辰野金吾・片岡安が実施設計を行った。
1913年(大正2年)6月に着工、1918年(大正7年)11月17日にオープン。
岩本栄之助は第一次大戦による相場の変動で大きな損失を出し、
公会堂の完成を見ないまま1916年(大正5年)に自殺した。
建物は鉄骨煉瓦造地上3階・地下1階建て。意匠はネオ・ルネッサンス様式を基調としつつ、
バロック的な壮大さを持ち、細部にはセセッションを取り入れており、アーチ状の屋根と、
松岡壽によって天地開闢が描かれた特別室の天井画・壁画が特徴となっている。
各種の講演、会合などが催され、大阪市民に親しまれてきた。
ロシア歌劇団の公演、アルベルト・アインシュタインを始め、
ヘレン・ケラーやガガーリンなどの歴史的人物の講演も行われた。
(Wikipediaより)

※絵になってます。

水晶橋から大江橋望む

※鉾流橋(ほこながしばし)は、大阪市北区の堂島川に架かる大阪市道裁判所東筋線の橋。
「浪速の名橋50選」に選定されている。
鉾流橋の名の由来は、天神祭の鉾流神事がこの橋のたもとで行われることに因んでいるとされる。
橋の歴史は古くはなく、1918年(大正7年)に最初の橋が木造で架橋された。
現在の橋は1929年(昭和4年)に完成し、1980年(昭和55年)に拡幅などの改修が行われている。
(Wikipediaより)


我がbeat君

※難波橋渡って帰ります。
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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