其の一阡弐百七拾二
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。
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撮影日 2016年05月01日 日曜日 アップ日 2016年08月31日 水曜日 |
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ワッカン~ 資料として気になる街角 撮っておきや!(by UFO先生) 竜田村の大字- 稲葉車瀬(いなばくるませ)は、片桐氏の竜田陣屋築造の関連で「車瀬」の 集落が今の場所に移され「稲葉車瀬」となったと伝わります。 稲葉は、『続日本紀』にある因幡(いなば)宮との説がありますが、 斑鳩の史料に登場するのはこの付近の地名の中で最も遅く鎌倉期後期なので疑問が残ります。 現在は、80戸ほどになった集落の北にヤブツバキの赤い花が目を引く白山神社があり、 境内には本殿のほか五社が祀られています。 かつては神宮寺の法永寺がありましたが今は古地名として残っているだけです。 なお、集落内には浄閑寺と増福寺の二つの寺があり、ともに門は閉じられたままになっています。 竜田川上流の念仏橋の西に墓地があり、古くはその辺りまでが村の領域であったようです。 竜田川の東の旧流域には今も梨農園が広がり、桜の花の後を追うように清楚な白い花を咲かせます。 稲葉の梨作りは明治期といわれ、集落の中には夏の収穫の時期だけ ナシ、ブドウ、イチジクなどの直売所がたくさん見られます。 稲葉車瀬の竜田川から西の旧流域も果樹園でしたが、新しい住宅が建ち、 新住所は稲葉西と名づけられ農園の痕跡はすっかりなくなりました。 (斑鳩大事典HPより) (※=マウスポインターを画像上に置いて下さい) |