古/いにしえの面影       其の一阡弐百七拾
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

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撮影日  2016年05月01日 日曜日
アップ日  2016年08月30日 火曜日
奈良県生駒郡斑鳩町龍田

ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

竜田藩(たつたはん)は、大和国(現在の奈良県生駒郡斑鳩町竜田)に存在した藩。
豊臣秀吉の家臣で加藤清正や福島正則らと並んで賤ヶ岳七本槍の一人として数えられる
片桐且元は、武勇だけでなく政治手腕にも秀でていたことから、清正や正則らと違って
所領は播磨国内などに1万石ほどしかなかったが、秀吉側近として重用され、
羽柴姓を下賜された上、前田利家亡き後は豊臣氏の家老として豊臣秀頼の後見人を
任されることとなった。
関ヶ原の戦いにおいても豊臣氏が徳川家康によって取り潰されなかったのは、
且元が石田三成ら西軍に対してある程度の距離を置き、家康と裏交渉していたからで
あるとも言われている。
家康は関ヶ原後の慶長6年(1601年)、且元の豊臣氏における存在を重要視し、
大和国竜田に1万8000石を加増して2万8000石の大名として取り立てた。
これが竜田藩の立藩である。
且元はその後、豊臣氏と徳川氏の関係修復のために尽力する。
慶長16年(1611年)の秀頼の上洛、その他の奉行関連の差配などは、
全て且元によって執り行われた。
豊臣氏が関ヶ原後も15年間にわたって存続することができたのは且元の尽力によるところが大きい。
現在では且元が家康の間諜を務めていたなどという説もあるが、
且元は慶長19年(1614年)の鐘銘問題においても盛んに駿府の家康のもとに交渉に赴き、
戦争回避などを努力していることから、彼はむしろ豊臣氏存続に心を砕いた忠臣だったと思われる。
しかし、度重なる家康との交渉が淀殿や大野治長らの内通疑惑を招き、
且元は豊臣氏から離脱するに至った。
ちなみに且元は戦後、4万石に加増されたが、豊臣氏滅亡から20日後に死去している。
これは病死とも、秀吉への恩義に応えられなかった
(且元は家康の大坂攻めに協力する見返りとして、秀頼の助命を嘆願していたらしい)ことを
悔いての自殺説もある。
且元の死後は子の片桐孝利が継いだ。孝利は藩政の基礎固めなどに専念したが、
寛永15年(1638年)8月に38歳で死去した。
孝利には嗣子がなく、一時は絶家となりかけたが、且元の功績を考慮して
弟の片桐為元が家督を継ぐことで存続を許された。
しかしこれにより、所領が4万石から1万石に減らされた。
承応3年(1654年)5月に為元は44歳で死去し、跡を子の片桐為次が継いだ。
しかし為次は翌年11月、父の後を追うように15歳の若さで死去する。
為次には嗣子がなく、竜田藩は廃藩となった。
しかし幕府は且元の大坂の陣における功績を考慮して、為次の弟にあたる片桐且昭を
3000石の交代寄合として取り立てることで片桐氏の名跡を存続させようとした。
ところが且昭も嗣子に恵まれずして死去した。
このため、且元の弟の片桐貞隆から始まる小泉藩の一族から片桐貞就を養嗣子として
迎えて跡を継がせたが、この貞就も元禄7年(1694年)2月に17歳で死去した。
貞就も嗣子がなく、且元系統の片桐氏は完全に断絶するに至った。
(Wikipediaより)


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龍田神社西側街道風景

※改築中

東光寺さん

※手摺付家屋

袖壁・虫籠窓が付いた
立派な御家



元商家でしょうか?
今はガレージですね。

※連子格子

路地の向こう側には
R25号

※街道向かずに
横向いた地蔵様

屋門の向に~
好きな風景です。

※背高土蔵

ダラダラの下り坂~
宿場の西側は
西山坂に続きます。

※街道に燕がスィ~っと。。

格子戸が綺麗に~

※トマソン付きの
本瓦家屋

上の屋根は桟瓦~
下の軒は本瓦



連子格子家屋が続きます。



綺麗ですね。

※干鰯も商っていたんでしょうか?
上方落語『牛の丸薬』
思い出しながら~

取り合い部分には
袖壁だけ…
美濃なら卯達ですがね。。



東西に長い宿場で
南北には狭いです。

※大きな商家
街道に面した家屋は
軒低く作られています。

見返って~

※銅板葺き
時代が出てます。




綺麗に大切に~

※屋根の上に明り取りが~

鯉のぼりの季節~

※大和格子

小物の拘り~Ⅰ

小物の拘り~Ⅱ

※空き地が目に付きます~
寂しいなぁ。。

屋門二態



エエ腕の瓦職人さんも~



少し歪んでいるのも
御愛嬌で~

※空き家が目立ちます。。

龍田神社~

公民館
門柱にイニシエが~

※ツバメたちが立ち話して~

浄慶寺さん
よほど狭い道路なんですかね??

※霊雲寺さんの山門

本堂共に本瓦が目に付きます。

※瓦細工が見事に!

脇の地蔵堂

※と思えば
お大師さん。。
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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