古/いにしえの面影       其の一阡弐百六拾九
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

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撮影日  2016年05月01日 日曜日
アップ日  2016年08月27日 土曜日
奈良県生駒郡斑鳩町龍田(龍田神社)

ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

龍田神社(たつたじんじゃ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にある神社である。
式内社で、旧社格は県社。
崇神天皇の時代に創立され、法隆寺の鎮守とされていた。
伝承によれば、聖徳太子が法隆寺の建設地を探し求めていたときに、
白髪の老人に化身した龍田大明神に逢い、「斑鳩の里こそが仏法興隆の地である。
私はその守護神となろう」と言われたので、その地に法隆寺を建立し、
鎮守社として龍田大明神を祀る神社を創建したという。
元々の社名は「龍田比古龍田比女神社」で、
その名の通り龍田比古神・龍田比女神の二神(龍田大明神)を祀っていた。
延喜式神名帳にもこの名前で記載され、小社に列している。
しかし、後に龍田大社より天御柱命・國御柱命の二神を勧請したため、
元々の祭神は忘れられてしまった。現在は天御柱命・國御柱命を主祭神とし、
龍田比古神・龍田比女神を配祀している。
明治の神仏分離により法隆寺から離れ、
三郷町立野の官幣大社龍田神社(現・龍田大社)の摂社となった。
独立の請願の結果、大正11年3月に龍田大社より独立し、県社に列格した。
(Wikipediaより)


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龍田神社サン
竜田越奈良街道沿いに有ります。



街道沿いに在る
石燈籠



石工 大坂和泉屋 源女(?)

※屋根付き鳥居
注連縄も~

奈良街道と当麻街道(近世の道)
奈良街道は、大坂と奈良を結ぶ街道として栄えました。
大坂からは奈良街道・奈良からは大坂街道と呼ばれ、この街道筋の龍田は
浪速・奈良・伊勢・当麻への分岐点として、龍田神社を中心に
商家・旅籠が軒を並べ、西和地方の中心でした。
街道筋の龍田は、郡山に次ぐ宿場町として栄えました。
其の賑は『龍田宮前は かいでも綺麗な宿場の女が裾で履く』とまで歌われ、
陶磁の繁栄ぶりが伺えます。
又、当麻街道は信仰の道として、法隆寺・当麻寺とを結んでいました。
当麻からは法隆寺参りの道と呼ばれ、法隆寺からは当麻寺参りの道と呼ばれてました。
この街道の分岐点の龍田神社から南の小吉田稲葉車瀬・神南にかけては、
往時の名残を残す道標が多く残されています。
(看板より)




明治の神仏分離により法隆寺から離れ、
三郷町立野の官幣大社龍田神社(現・龍田大社)の摂社となった。
独立の請願の結果、大正11年3月に龍田大社より独立し、県社に列格した。
(Wikipediaより)

※天然石型の百度石

境内地内の石燈籠群

※手水鉢

 銅製の打ち出し?
石製ではないですが
名品です。

※元は法隆寺系

止まり木も作られています。

※大きな楠




紅葉紋の入った狛犬


※吽



※吽
ちょっと困り顔…

なにわ型
狛犬

※少しだけ本殿舎

拝殿舎破風

※拝殿舎脇の法堂は
神仏習合の名残

拝殿舎全景



戎様

※井戸

大きな楠
境内風景

※セグロセキレイ

金剛流発祥の碑

※金剛流は能楽シテ方五流派のひとつで、
古くは奈良の法隆寺に奉仕した猿楽座の坂戸座を源流とし、
室町初期には春日興福寺に勤仕する大和猿楽四座のひとつとなり、
のちに金剛座、そして現在の金剛流へと至りました。
金剛流の芸風は、豪快でめざましい動きの中にも、
華麗・優美さがあり、「舞金剛(まいこんごう)」といわれます。
また、豊臣秀吉拝領の「雪の小面」や艶麗な「孫次郎」など、
所蔵する能面・能装束に名品が多いことでも知られ
「面金剛(おもてこんごう)」とも言われています。
五流のうち四流の宗家が東京を本拠地にしている中で、
関西に宗家が在住する唯一の流儀です。
(金剛流の魅力より)


県指定 天然記念物
大きなソテツ

前には
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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