古/いにしえの面影       其の一阡弐百六拾八
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

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撮影日  2016年05月01日 日曜日
アップ日  2016年08月25日 木曜日
奈良県生駒郡斑鳩町龍田(瀧谷神社)

ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

竜田越奈良街道(たつたごえならかいどう)は、奈良に至る「奈良街道」の一つ。
大阪と奈良を結ぶ街道の一つであり、
斑鳩町の竜田(龍田神社付近)を通る「竜田道」の一つである。
現在は国道25号が踏襲している。
龍田(三郷町の龍田大社付近)を越えることから「竜田越」とよばれるようになった。
また、大阪府内では「渋川道」ともいわれる。
飛鳥時代に、難波津・四天王寺と斑鳩里・法隆寺を結ぶ街道として整備された。
沿道にある大聖勝軍寺を含め、いずれも聖徳太子にゆかりのある地域と関わりがある。
聖徳太子自身もこの街道を往復していたといわれる。
奈良時代になると、難波京と平城京を結ぶ街道として利用された。
最短ルートである暗越奈良街道が急峻な山越えであるため、
比較的坂の緩い平坦路として重宝された。
斑鳩より東は「横大路」(北の横大路)といわれた。
また、現在の大和郡山市横田付近で「下つ道」に合流した。
かつて、大和川付け替え前は、途中の「河内国府」(現在の藤井寺市国府)で
長尾街道」「東高野街道」と離合した。
また、付近で石川を越えて国分村を経由し、さらに夏目茶屋付近を渡し船で越えていた。
大和川付け替え後は必然的に河内国府を通らない大和川を越えないルートとなった。
明治時代に入ると、国分村の北に国豊橋が架けられ、
亀ノ瀬の対岸の大和川南岸壁を開削して新たなルートが開設された。
比較的平坦だったため現在に至るまでメインルートとなっており、
現在は国道25号に指定されている。
なお、柏原から三郷にかけては、北側の山道越え(信貴山越と一部重なる)、
大和川の北岸に沿うルート(いわゆる亀の瀬越)、
対岸の南側を沿うルート(現在の国道25号)など、複数のルートがある。
柏原市内で、「亀の瀬」とよばれる地域を通るが、
本街道としては現在に至るまで、難所として知られた。
明治時代以降に鉄道が敷設されたときに長大トンネルが掘られたが、
軟弱地盤のため、崩壊して放棄された。
(Wikipediaより)


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龍田の街中より北へ
参道行けば~

※少しずつ坂道を登って~
石段も…

 開けた感じの境内

※元は参道に有ったんでしょうか?


 四脚門

※昨年のセミの抜け殻~

 境内風景

※拝殿舎正面

手水舎

※14段位の石段

狛犬


※なにわ型狛犬

真っ二つに成ったんでしょうか?

※肉感的な後ろ姿~




公民館

※カラスアゲハ

神社脇の遊園地

※屋根の向こうには
大和盆地

裏の山道

※鯉のぼりの季節

龍田街道へ続く道

※見返れば
紅葉寺の屋根が~

西は遠く高安山

※地蔵様
合祀されて~
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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