古/いにしえの面影       其の一阡弐百四拾八
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

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撮影日  2012年12月30日 日曜日
アップ日  2016年04月26日 火曜日
神奈川県横浜市中区山下町(中華街点描)

ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

横浜中華街(よこはまちゅうかがい)は、神奈川県横浜市中区山下町一帯に
所在するチャイナタウン(中華街)である。
1955年以前は唐人町や南京町と呼ばれていた。
華僑の出身地は広東省が比較的多いが、中国各地に分散している。
上海路、中山路、福建路など、地名を冠した路地が交差しており、
各路地には、当該地の出身者が多い。
所在地である中区の中国人人口は6000人を超える。
これは同区で登録されている外国人の約4割にあたる。
約0.2平方キロのエリア内に500店以上の店舗があり、
日本最大かつ東アジア最大の中華街となっている。
1866年(慶応2年)の横浜新田慰留地から数えると150年弱の歴史をもつことになる。
日本では、神戸南京町や長崎新地中華街とともに「三大中華街」とされる。
(Wikipediaより)


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横浜中華街善隣門

※地久門

私は、この街の
雑踏が好きです。


横浜媽祖廟(よこはままそびょう)は、神奈川県横浜市にある媽祖をまつる道教寺院である。
2006年(平成18年)3月17日に、横浜媽祖廟は開港から
150周年を迎える横浜の新名所として横浜中華街に落慶開廟した。
明治時代の清国領事館の跡地である山下小公園に隣接している。
台湾最初の官建の台南市大天后宮より分霊された。
「媽祖」は、北宋時代に実在した福建省・林氏の娘であり、
生まれて1か月も泣き声をあげなかったため、『林黙娘』と名付けられたが、
小さいころから才知に長け、10歳のころには朝晩の念仏を唱えるようになるなどした。
28歳のときの9月9日、修行を終えて天に召され神になり、
海上を舞い難民を救助する姿が見られたとされ、人々は廟を建て護国救民の神として祀るようになり、
その神通力は国中に広まり、歴代のそれぞれの皇帝も贈り名で敬意を表するようになった。
その後、航海を守る海の神のみならず、自然災害や、疫病、戦争、盗賊などから
護る神として中国・台湾のほか華僑が住む世界各地で信仰されている。
(Wikipediaより)



提灯が綺麗に~

※色鮮やかな
木鼻・蟇股・斗拱の塊~

山下町公園内建物の飾り瓦~

関帝(かんてい)とは、中国後漢末期に劉備に仕えた関羽が神格化されたものである。
関羽が高名な武将であったことから旧くは武神として、
また関羽が義理や信義に厚い人物だったこと、元は塩の密売業者で
算盤や大福帳を開発したという伝説や山西商人にとって地元の英雄だったことから
現在は主に商業の神として信仰され、中国はもとより世界各地の中華街など
華僑の町にはほぼ必ず関帝廟や祭壇が設けられている。
日本では1873年(明治6年)に横浜に関帝廟がつくられた。
そこでは旧暦6月24日 (8月8日)に関帝誕という誕生日の神事がおこなわれている。
また、大阪や長崎の黄檗宗寺院にも関帝が祀られている。


※色鮮やかな意匠~
九重塔・龍・象・麒麟・豹・虎から烏賊まで…

雨垂受け鉢

前には




獅子舞も~

オリエンタルホテル
中華街南門通
テントの書き文字が良いですね!

二本把手付ドア

※泊まってみたいなぁ~
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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