古/いにしえの面影       其の一阡弐百四拾二
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2013年04月某日 某曜日
アップ日  2016年04月25日 月曜日
東京都新宿区新宿(花園神社)

ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

花園神社(はなぞのじんじゃ)は、東京都新宿区にある神社である。旧社格は郷社。
倉稲魂命(花園神社)・日本武尊(大鳥神社)・受持神(雷電神社)の3柱の神を祀る。
創建の由緒は不明であるが、徳川家康が江戸に入った1590年にはすで存在しており、
大和国吉野山よりの勧請と伝えられている。
その後、当地に内藤新宿が開かれるとその鎮守として祭られるようになった。
元は現在地よりも約250メートル南にあったが、寛政年間、その地を朝倉筑後守が拝領し
その下屋敷の敷地内となって参拝ができなくなった。
氏子がその旨を幕府に訴えて、尾張藩下屋敷の庭の一部である
現在地を拝領し、そこに遷座した。
そこは多くの花が咲き乱れていた花園の跡であることから「花園稲荷神社」と
呼ばれるようになったと伝えられる。
また、真言宗豊山派愛染院の別院・三光院の住職が別当を勤めたことから
「三光院稲荷」とも、地名から「四谷追分稲荷」とも呼ばれた。
明治に入ると村社に列格したが、その際、名称は単に「稲荷神社」となった。
一説には届出の際に「花園」を書き忘れたという。
1916年(大正5年)1月25日に東京府知事に対し改名願を出し、
同年2月26日に許可され「花園稲荷神社」に改称した。
1928年(昭和3年)、現新宿4丁目にあった雷電稲荷神社(雷電神社/祭神:受持神)を
合祀、郷社に昇格した。
1965年(昭和40年)、現在のコンクリート製の本殿に建て替えられ、
その際に末社・大鳥神社(祭神:日本武尊)を本殿に合祀し、社名を「花園神社」に改めた。
(Wikipediaより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

この頃良く載せて頂きました。
700系とN700系がメインでした。

※カメラを用意してたら
車掌さんが「撮影ポイントは、もう直ぐですよ」と
教えてくれました。

綺麗に~



 春先などは、受験シーズンや
入学・入社シーズンで
ビジネスホテルを転々として…
此の日は歌舞伎町辺りでした~

※この歩道は~川跡?と思えば
新宿遊歩道公園(四季の道)だそうで~
えっ?都電13系統(新宿駅前~水天宮前)の
軌道跡…

 ニャンコも
ひなたぼっこして。。

 此の空見上げて都電が、
ゴトゴト走っていたんですね。



近くはゴールデン街もう直ぐですよと~

※2016年4月12日の火災は
驚きました。
お見舞い申し上げます。

花園神社サンの裏口が~

サングラス掛けたような狛犬


※吽

願主は内藤宿下町

※角が壊れているのは
関東大震災跡?

立派な拝殿舎

※奉納絵馬
昭和27年銘
同栄信用金庫飛行機貯金旅行会献木記念
四発プロペラ機~
B29みたいですね。

雷電稲荷神社サン

※正面参道
シダレ桜
銀杏の芽吹き~

雷電稲荷神社サン正面

※神輿蔵ですかね。

境内風景~

※キョロキョロしながら
不審者ですね。。

正面狛犬


※吽

花園稲荷神社正面

※根上りの樹

下宿茶屋中
明治二年銘
国旗掲揚台?
摩尼車ですかね?



こちらが国旗掲揚台?



新宿5丁目交差点

※末広通りに行きます。

賑やかなビル

※夜の喧騒が想像できます~

おお~此処が末広亭。。
新宿末廣亭(しんじゅくすえひろてい)は、東京都新宿区新宿三丁目にある寄席である。
都内に4軒存在する落語定席の一つで、落語を中心に、漫才・俗曲などの
色物芸が演じられている老舗(「色物」という言葉は寄席に由来する)。
末廣亭は、常用漢字である末広亭と表記されることも多く、
末広亭の外に掲げられた提灯の中には末「広」亭と書かれたものもある。
なお、かつて人形町に存在した寄席「人形町末廣」とは全くの別物である。
(Wikipediaより)

※一度、観たかったなぁ~

新宿伊勢丹



JR新宿駅ルミネ横



やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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