古/いにしえの面影       其の一阡弐百参拾三
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2014年07月24日 木曜日
アップ日  2016年04月08日 金曜日
大阪府堺市西区鳳北町(大鳥神社)

ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

大鳥大社(おおとりたいしゃ、正式名:大鳥神社)は、
大阪府堺市西区鳳北町にある神社。式内社(名神大社)、
和泉五社の1つで和泉国一宮。
旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
全国の大鳥神社および大鳥信仰の総本社とされる。
南北朝時代よりは泉穴師神社・聖神社・積川神社・日根神社とともに
「当国五社大明神」を形成するにいたる。
明治になると神仏分離により神鳳寺は廃寺となり、五重塔などが破却され
末寺であった光明院が仏像・記録などを引き継いだ。

(Wikipediaより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

官幣大社 大鳥神社碑
御旅所は前に

※日本武尊は西征して熊襲を平定し、東征して東国を平定したが、
伊吹山で病に倒れ、伊勢国能褒野で薨去する。
遺体はその地に葬られたが、その陵墓から魂が白鳥となって飛んでいき、
大和国琴引原で留まり、また飛び立って河内国古市に降りたが、
最後に大鳥の地に舞い降りたので、社を建てて祀った。
これが大鳥神社の始まりだとされる。
神域は千種森(ちぐさのもり)と呼ばれ、白鳥が舞い降りた際、
一夜にして樹木が生い茂ったと言われる。
延喜式神名帳記載の名神大社であり、とくに防災雨祈の祈願社として知られた。
本殿は大鳥造といい、「切妻造・妻入社殿」という出雲大社造に次ぐ古形式を保っている。
日本武尊を守護神として信仰していたが、
「おとりさま」と称されて開運・商売繁盛の神と信仰され、
11月酉の日には熊手の酉の市が開かれる。
(Wikipediaより)

鬱蒼とした千種森

※陰陽石?

本殿舎裏

根上りの楠

摂社 大鳥美波比神社
祭神:天照大神(菅原道真、押別命を配祀)
式内社。大鳥五社の一社。明治12年(1879年)に境内に遷座した。
明治42年(1909年)に式内社押別神社・菅原神社4社を合祀した。
(Wikipediaより)



 
漫画っぽい狛犬


※吽

菅原道真公も
祀られています。
撫で牛

※手水鉢

脇に稲荷社

※ねずみくんと歩きで~

檜皮葺屋根の妻入り社殿
大鳥造りだそうです。

※手水舎

大正記念石碑
楠に取り込まれそう~



拝殿舎

※社務所

鳳紋

※とよあしはら
みずほのくにの 青田かな
竹本素六

本殿舎
千木に鰹木5本



檜皮の分厚さ~

※社紋入り
奉納馬(御神馬)像

旧狛犬

※まださん如何?
 
御祭神の日本武尊命像

富岡治郎翁碑

※大正期に鳳町長
鳳信用利用組合長
地元の名士ですね。


※お祓い所

社務所

※見返れば
広い境内

絵馬堂

※大鳥山
神宮寺の扁額?

境消防組中
明治35年銘

※出初式でしょうか?

昭和10年銘
第二回 全大阪弓術締的競位大会
会場新町ひさご倶楽部

※白馬を引く武者?
朽ちていくのは勿体無いですよね~

崇敬会館



約50種10万本の花菖蒲園

※ちょうど満開時期!





日本武尊を祭神とするため武家の崇敬厚く、平治元年(1159年)には
熊野参詣に向かう途上の平清盛・平重盛らが立ち寄り、清盛は以下の句を詠んだ。
『かひこぞよかへりはてなば飛びかけり はぐくみたてよ大鳥の神』


※富岡鉄斎翁筆
富岡 鉄斎(とみおか てっさい、1837年1月25日(天保7年12月19日)- 1924年12月31日)は、
明治・大正期の文人画家、儒学者。日本最後の文人と謳われる。
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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