ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)
紀の川市(きのかわし、英語表記:Kinokawa-city)は、和歌山県北部に位置する市である。
2005年11月7日、那賀郡打田町、粉河町、那賀町、桃山町、貴志川町の5町が合併し誕生した。
「紀の川市」という市名は公募によって決められた。
那賀郡:明治2年(1869年)8月 - 高野山領が堺県の管轄となる。
明治3年4月27日(1870年5月27日) - 堺県の管轄地域が五條県の管轄となる。
明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が和歌山県の管轄となる。
以下略
紀伊国分寺跡:聖武天皇の詔による建立とされるが、創建の記録は残っていない。
『続日本紀』には天平勝宝8年(756年)に紀伊国を含む26ヶ国の国分寺に対する法具頒布の記事がある。
また『日本三代実録』には元慶3年(879年)2月22日に「紀伊国金光明寺」が火災により焼失したとある。
しかしその後すぐに復興したものと見られ、『延喜式』には紀伊国分寺料として20,000束の記載がある。
その後平安時代後期までは存在が確認されるが、中世に入ると衰退し文献への登場はなくなる。
一方、現・国分寺の経緯を伝える史料では、寛永4年(1628年)に無本寺から根来寺末になったといい、
寛延4年(1751年)に藩寺社奉行の直轄下に入ったという。
また、浅野氏時代には寺領4石5斗、徳川氏時代には3石2斗が与えられていたという。
昭和3年(1928年)2月7日、国の史跡に指定された。
その後昭和48年(1973年)から昭和50年(1970年)の発掘調査によって寺域が二町四方(約218メートル四方)と判明し、
伽藍配置・規模が確認された。
その後、昭和60年(1985年)に国の史跡に追加指定された。
(Wikipediaより)
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