其の一阡弐百八拾弐
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
撮影日 2016年06月10日 金曜日 アップ日 2017年02月08日 水曜日 |
||||||||
ワッカン~ 資料として気になる街角 撮っておきや!(by UFO先生) 丹波国は古くより京都の北西の出入口に当たる地理的条件から、 各時代の権力者から重要視され、播磨や大和などと並んで 鎌倉時代の六波羅探題や江戸時代の京都所司代などの直接支配を受けた。 それだけに、都の政局に巻き込まれやすい国でもあった。 鎌倉時代末期には足利尊氏が桑田郡篠村(亀岡市篠町)で挙兵し、 安土桃山時代にも丹波亀山城主の明智光秀が本能寺の変を起こすといった 時代変革の重要な舞台となった。 さほど有名ではないが、戦国時代に八上城の波多野氏(松田氏)は 丹波諸豪族をまとめると、これを率いて山城など周辺諸国に進出したこともある。 室町時代は、おおむね細川京兆家の領国として、守護代内藤氏のもと栄えた。 安土桃山時代は羽柴秀勝や羽柴(小早川)秀秋、前田玄以といった 豊臣政権の親族などが亀山に置かれた。 一方、福智山は小野木重勝が封じられた。 織田信長の弟である織田信包が氷上郡柏原に陣屋を構えた。 (Wikipediaより) (※=マウスポインターを画像上に置いて下さい) |