|
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや! (by UFO先生)
平安時代中期以降、全国的に荘園が増大したが、
それに伴って従来の神戸・神田は次第に有名無実となっていった。
そして、有力な神社は進んでそれを私有化しただけでなく、
皇室や中央の権門勢家たちが自己の所有する荘園をこぞって
社寺に寄進することも盛んとなり、各地に神社の荘園が成立した。
神社の荘園のうち、やや特殊なものとして御厨・御園がある。
御厨はミクリともいい、もとは神社経済を賄う台所を意味した。
それがのちに神領をさすことばに転じた。
とはいえ、史料的にみると御厨は、ほとんど伊勢神宮と賀茂神社とに限られている。
そして、鎌倉時代初期の神宮雑例集によると、伊勢神宮の御厨・御園の数は
全国で四百五十余処にわたったとあるが、同末期には千三百ケ処にも及んだことが知られる。
御厨・御園からの供進物は米穀が主で、野菜・山菜・海草・魚介にわたった。
賀茂神社の御厨も少なくないが、一般の荘園の方が多かった。
賀茂神社をはじめ、春日神社・石清水八幡宮など、
著名な大社はいずれも巨大な荘園を全国にわたって領有するようになり、
これらは例えば「春日社領何々荘」などといい、社領と呼ばれた。
社領から貢上される収入が各神社の経済を賄ったのである。
(神社小百科HPより)
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
|