古/いにしえの面影       其の一阡弐百弐拾二

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2011年05月04日 水曜日
アップ日  2016年03月17日 金曜日
和歌山県和歌山市深山(砲台跡)

ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

由良要塞(ゆらようさい)は、大日本帝国陸軍の要塞の一つ。
大阪湾防衛の目的で紀伊半島と淡路島の間の紀淡海峡周辺に作られた。
当初の由良要塞は大きく3つの地区に分けられる。
1903年5月、鳴門要塞が編入され鳴門地区が加わり4地区となる。
加太・深山地区
紀伊半島の加太町(現和歌山市加太)を中心に北部の深山第一、第二砲台、
男良谷(深山第三)砲台、城ヶ崎探照灯台、大川山堡塁、高森山保塁、
南部の鉢巻山に配置された加太砲台、田倉崎砲台、東部の佐瀬川保塁、西ノ庄保塁からなる。
紀伊半島の加太町(現和歌山市加太)を中心に北部の深山第一、第二砲台、
男良谷(深山第三)砲台、城ヶ崎探照灯台、大川山堡塁、高森山保塁、
南部の鉢巻山に配置された加太砲台、田倉崎砲台、東部の佐瀬川保塁、西ノ庄保塁からなる。
由良地区を運用する由良要塞重砲兵連隊とは別に、深山村(現和歌山市深山)に
第4師団隷下の深山重砲兵連隊(後、重砲兵第5連隊(2代目)に改称、
重砲兵第5連隊(初代)は野戦重砲兵第5連隊に改称)が置かれ、和歌山側の各砲台を運用。
同連隊は第4師団が出征後は中央直轄とされ、終戦時には大本営中部軍管区
(中部軍管区司令部は第15方面軍司令部と兼務)直轄部隊であった。
この地区の保塁は沿岸砲台群を内陸側からの陸上攻撃から防護する目的で設置された。
また、直接の要塞設備ではないが、この地区への補給は加太軽便鉄道(現南海加太線)が担っていた。
(Wikipediaより)


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加太湾望んで~
戦前なら撮影禁止でしょうね。

※自然海岸
霞む友ヶ島
水が澄んでますね。

深山湾
地の島ですね。

※昔、蛸捕りましたわ。

瀬戸内海国立公園
加太周辺案内

横須賀の森
に似ています。

横須賀の猿島
陸軍と海軍の所管でしたが~
此処は陸軍なんですね。

※綺麗に残っています。

富国強兵の名残
明治期の面影

※かなり頑丈に!

砲台跡も~

※レンガ倉庫
厳重機密事項だったんでしょうね。

空気抜き?



ラピュタの空中庭園みたいに~



地の島
ここから見たら蛇のような~
潮目に鯛釣の船が。
あの船に砲弾当たるんですかね?

※樫の花

古くから瀬戸内海の交通の要害だった。
でも、ここまで船舶に入られたら
負け戦でしょう~
昔でも。。。
えっ?神風が吹きますか??

※昔は立ち入り禁止でしょうね~

戦物は
緑の覆い隠されて~



大川袖ノ浜

※大川漁港

やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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