古/いにしえの面影       其の一阡弐百弐拾

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2016年01月30日 土曜日
アップ日  2016年03月02日 水曜日
兵庫県篠山市黒岡(春日神社絵馬堂)

ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

平安時代初期の876年(貞観18年)当時、日置荘を領有者であった藤原基経、藤原時平父子により
藤原氏の氏神である春日大社(奈良県)より分祀し黒岡村南部の当時は笹山と呼ばれた
現在は篠山城のある小山に勧請し、祀り氏神としたのが起源とされる。
後の1609年(慶長14年)、篠山城築城の際に現在の地に遷された。
秋の祭礼に使われる4柱の神霊を移した金神興は、2基を黒岡村より元禄7年6月に、
他の2基は安永8年9月(元禄13年の説もある)篠山町より寄進されたもの。9台のちんちき山と呼ばれる山鉾は
寛文3年以降に各町内より寄進されたもので、京都の祇園の山鉾を模し造られており、絢爛豪華である。
明治後期までは鳳凰・孔雀・蘇鉄・猩猩等の鉾をつけ巡行したが、電線が障害となり現在は鉾を付けずに巡行される。
奈良の春日大社の分祠を祭り、地元では「おかすがさん」と呼ばれる氏神。
能楽殿で演じられる春の春日能と秋の祭礼(10月第3土・日)の京都八坂の祇園祭を模したといわれる
4基の神輿、華麗な飾り付けを施された9基の山鉾巡行は京文化を強くうかがわせ、
笛や鐘の囃子を響かせながら小京都雰囲気の残るの古い町並みを練り歩く様子は、
近代的な町で行われる本場の京都の祇園祭よりも情緒あるものとして知られる。
また太鼓御興は、文化・文政のころに、王地山焼の陶工たちが担ぎ始めたのが始まりと伝えられる。
(Wikipediaより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

黒岡の名の通り~

※簡易裁判所
特産館ささやま
交差点の西側

向に鳥居が~



献灯黒岡

※境内
絵馬堂に山門
前にも来てますがね~

黒岡の上に石段が伸びて~

※能舞台も~

丘の上の赤い鳥居
稲荷社?

※本殿

境内

※愛宕燈籠ですね。

大きな木~
ケヤキですかね?

※大きな木に目が行きます。

苔むして~

※本殿舎裏

能舞台大修理完成記念碑・翁像
青山忠良公顕彰碑
青山 忠良(あおやま ただなが)は、江戸時代後期の大名、老中。
丹波篠山藩第5代藩主。青山家宗家11代。
篠山藩主13代藩主青山忠良によって江戸時代末期である1861年(文久元年)に建てられた能舞台。
建築は稲山嘉七、永井理兵衛、舞台背景に描かれた松の絵は松岡曾右衛門によるもので、
当時箱根以西において最も立派なものであると称えられた。
正月の1月1日には、翁奉納および毎年、桜の咲く時期の4月上旬に「篠山春日能」が催される。
2003年(平成15年)には国の重要文化財に指定される。

文化3年(1806年)、4代藩主青山忠裕の四男として誕生。
天保6年(1835年)、父・忠裕の隠居により家督を相続する。
同8年(1837年)に寺社奉行、同11年(1840年)大坂城代に就任。
弘化元年(1844年)に老中に抜擢された。同5年(1848年)、首席老中阿部正弘が徳川斉昭を重用するのに反発し、
水戸藩内の旧縁で斉昭に反目する水戸藩士の朝比奈某を焚きつけ、斉昭と親しい阿部を退けようと陰謀を企てたが、
事前に計略が発覚し忠良は逆に詰め腹を斬らされて老中を辞任、幕閣を追放された。
文久元年(1861年)に忠良は篠山春日神社に能舞台能楽殿を寄進した
(能舞台は2003年に国の重要文化財に指定されている)。翌2年(1862年)隠居。家督は次男・忠敏が継承した。
元治元年(1864年)、死去。
(Wikipediaより)


※拝殿舎

拝殿社脇の摂社

藤阪と共に
篠山市内では桂の巨木が
2箇所だけの確認とか。

桂の木
樹高:25m
幹周:4.5m
ヒコバエがないので藤阪より
迫力は感じられません。

※根は暴れていますが~

本殿舎脇の造作

※目立ちませんが~
藤阪と同じような案内看板が
有っても良いかも~

私立篠山中年学舎開学の地碑
春日神社社務所

※1952年(昭和27年)8月に平和記念に建立された絵馬堂には~
篠山市指定文化財看板
黒神馬絵馬(慶安二年)
大森彦七絵馬(貞享四年)

黒神馬絵馬(慶安二年)
内部の馬絵は、当初は旧拝殿内に会ったものだが
慶安2年に松平忠国が奉納した狩野尚信作の黒神馬は、
精緻なもので価値が高い。この絵馬だけには金網が張ってあったが、
それはこの馬が夜な夜な絵から抜け出しては
黒岡の田畑の豆を食い荒らしたという伝説があるためである。

(Wikipediaより)
金網はないですが~

※大森彦七絵馬が南朝の雄魂に悩まされる図(貞享四年)

曽我五郎が五郎丸に捕らえられる図
(貞享三年)

※巴御前絵馬(貞享三年)

他に多くの絵馬が~
大事にしてや!



画材の剥離が~

馬図と獅子図

大きな絵馬なんですが~
やはり痛みが目に付きます。

※胡粉は残っていますが~

狩野派絵師の腕の見せ場!

※多くの絵馬が奉納されて~

やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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