古/いにしえの面影       其の一阡弐百壱拾

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2015年12月31日 木曜日
アップ日  2016年02月29日 月曜日
大阪府東大阪市荒川(都留彌神社)

ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

布施:大阪府東大阪市の旧地域名。概ね旧・中河内郡布施町に相当する。
足代、足代南,三ノ瀬,岸田堂西,岸田堂北町,岸田堂南町,寺前町,太平寺,荒川,永和,
横沼町 1 ,菱屋西,足代北,足代新町,寿町(一部),長栄寺(一部),長堂(一部)の各町丁に相当する。
1889年4月1日に渋川郡荒川村、太平寺村、岸田堂村、東足代村、菱屋西新田、永和村が合併して布施村が成立。
1925年4月1日に町制施行。布施町となる。1933年4月1日に高井田村を合併する。
1937年4月1日に他の町村と合併し、市制を施行して布施市となる。行政上の地名としての布施は現存せず、
近畿日本鉄道(近鉄)の布施駅を中心とする地域の呼称として用いられる。
だが、市名などとして採用されていた経緯から布施の名を冠した施設などは旧布施市域に散見される。
例えば、大阪府立布施工科高等学校は現在布施と呼ばれている地区からはかなり離れている。
布施駅一帯に商店街が広がり、イオン(2011年2月まではサティ。さらにそれ以前はビブレ)、
近鉄百貨店といった大型商業施設もある。布施駅から少し離れると、小規模なビルや住宅が目立つ。
また、かつては布施駅から南に約800mの位置にある三ノ瀬1丁目に大阪市営バスの布施三ノ瀬停留所や、
布施三ノ瀬操車場があったが、どちらも路線改編に伴って使用停止・解体されている。
(Wikipediaより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

長い土塀
角石は…

※国旗掲揚台
皇威輝宇内

紀元2600年

石材が水との
戦いを物語って~

※角石といえば~
トラジマの…

やや~
トラジマ唐臼
目立たんと…

旧荒川村の路地

※立派な屋門

ツクバイも角石に~

※残されています~

向こうは荒川小学校校舎
手前に…都留彌神社鳥居

※神社脇の鳥居でした。

式内社 都留彌神社
正面から~

※拝殿社正面

前の狛犬


※吽

アニメ顔ですね。


※吽

文化期の狛犬

※遥拝所~
伊勢神宮?大神神社?

御神庫

※脇に力石
 
16貫目(60kg)
これを片手づづ持てれば
大坂相撲に入れると~試し石
太平寺の西本氏に有ったとか。
(宮司さん談)
高嶋先生如何でしょうか?

※屋根の意匠が珍しい
石燈籠

迎春準備OK!

※スプリング付きの乳母車
懐かしいなぁ~

本殿舎
檜皮葺屋根にトタン被せですね。

※境内地蔵様
(此処に神宮寺が有ったんでしょうか?)

埴輪と鶴

※鶴が居たんでしょうか?
大阪市にも鶴見神社が~

社殿裏側

※千木と鰹木

拝殿社

※社務所

天神社(岸田堂)が合祀されていると~

※撫牛

手水舎

※第60代醍醐天皇の縁起10庚午年(910)は春の中旬より夏至にかけ聊かも降雨無く、
河水細り井水涸れて毎日赫々たる旱天続きにて、田植えすること叶わず天皇はこのことを聞し召され
慈し給い河内国の十二社を選定し勅使を遣わされ5月23日より雨乞の御祈願をなされ
御祈り空しからず神応ありて同月25日大雨降り来りて甘水田畑をうるおし喜びの声国々に満ちたと云う。
その後続いて順雨あり連年豊作が続いたという、天皇もこの奇跡に御感ありて親しく御拝あらせられ
此の時に都留弥神社の社号を賜り従五位上の神階を給われ御神鏡を下賜せられたり。
その後、明治18年大洪水ありて社殿宝物古文書等を流失し詳細古文書不明なり。
(由来記より)


裏の入口

※本殿舎
 
裏口
都留彌神社碑



裏口狛犬

※阿
文政期

施主:長濱屋官兵衛


※吽
ちっちゃ!

布施耕地整理竣工記念碑

※昭和12年銘

念通寺さん



念通寺さん前に道標が~

※左:十三(峠越)街道
南:読めない…八尾?

右:大坂



閑静な旧村中



腰下は高い
土蔵~

やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
ページトップへ戻る

Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights Reserved.